磯子金蔵院について
磯子観音・金蔵院について
金蔵院の前身は、磯子町と岡村町の境の薬師畑にあった霊雲山竜錫寺と号し、縁起によると、鎌倉の三代執権北条泰時が、京の高雄の明恵上人からいただい薬師の尊像を祀って、この寺を開創したといわれます。
今の場所に金蔵院として中興したのは真言僧理空で、鎌倉時代末の1328年(嘉暦三年)でした。いま安置している本尊は安阿弥作といわれる薬師如来で、一木造りの室町時代頃の作です(現在の本堂は昭和39年に完成落慶)。



また、境内左手一段高い所にある朱塗りの建物は、如意輪観世音菩薩像を祀る観音堂である。この観音様は北条泰時公内室の念持仏で、北条氏滅後、幾多の変遷を経て、発心比丘宗囚が当地に草庵を興し安置した。明治初年に廃堂となり、同三十五年公許を得て再建安置し、以来、安産・子育て・厄除の守護仏として群集を極めた。
昭和16年に御堂の老巧甚だしく、新築すべきく取毀したが、第二次世界大戦のため再建ならず以来仮堂に安置、三十有余年経過し、去る昭和47年妙義山妙義神社御本地堂(約二百年前の建造物)を譲り受け、同49年7月移築完成。33年の振りの再建です。



この観音さまは福徳無量の如意宝珠をもって、いかなる願いも、それが正しい願いであれば、必ず聞きとどけて下さいます。従って古来より家内安全、商売繁盛、息災延命、厄除招福、交通安全、諸願成就、如意円満の祈願所となっています。また安産、子育ての観音さまとして「御腹帯(おはらおび)」が授与され広く信仰されているのであります。




この度は数多あるお寺のホームページの中からお訪ねいただき感謝申し上げます。檀信徒様との対話を重視してきましたが、私たち世代は事前に情報があればより安心してご来山いただけるため、この度ホームページを開設いたしました。ぜひお寺でお会いできるのを楽しみにしております。合掌
海向山金蔵院住職・眞田有快




